エラーを出さずに落ちるプログラムと闇バイト
2026/08/09
あなたは、エラーを出さずに突然終了するプログラムに出会ったことはありますか?
私はよくあります。なんなら最近のアプリやプログラムは、クラッシュしてもエラーメッセージすら出さずに「すっと消える」ことのほうが多い印象です。
最近はWindowsというOSごと、エラーを隠蔽してしまうことが増えました。
かつてのように「このプログラムは不正な操作を行ったため強制終了されます。メモリが "written" になることはできませんでした。0xC0000005」
といった、無骨で意味不明なエラーを出してくれることは、最近はほとんどなくなってしまいました。
(※プログラム自身でエラーハンドリングを行っていない場合、OSが代わりにそのプログラムを強制終了させます。)
私はこの「親切すぎる仕様」が、人間が自分で考え、調べ、試行錯誤する機会を奪っているのではないかと考えています。
エラーすら出さずに消えてしまうプログラムは、調べる手がかり(エラーコードやキーワード)すら与えてもらえません。
結果として、盲目的にプログラムを再起動するという、運任せの思考停止ループに陥るしかなくなってしまいます。
(※プログラム自身でエラーハンドリングを行っていない場合、OSが代わりにそのプログラムを強制終了させます。)
技術に詳しい人であれば、「イベントビューアを見てエラー内容を確認すればいい」と思うかもしれません。
しかし問題は、「一般のユーザーがイベントビューアの存在をどうやって知るのか」ということです。
何のエラーも出ずにアプリが落ちてしまえば、多くの人はただ立ち上げ直すことしかできません。イベントビューアといったものの存在すら、知る余地がないのです。
ですが、エラーダイアログが出た場合はどうでしょうか。システムが「待った」をかけ、「今こういう状態です」と伝えてくれることで、ユーザーは再起動する前にエラー解消の方法を調べる余地が生まれます。検索する中で「イベントビューアでログを確認する」という知識にたどり着くこともあるはずです。
システムを設計する側が、ユーザーから「システムと対話し、考える機会」を奪ってしまう現状は、果たして親切と言えるのでしょうか。
もし昔のように「不正な操作?メモリがwritten?0xC0000005?」というエラーが出れば、「ガードページ?メモリアドレス?」「なるほど、あのプログラムが他の領域を侵そうとしたから、OSが身を挺して強制終了したのか」といった、裏側の仕組みを想像するきっかけが生まれます。
ですが、ここで大切な本質は「専門的なエラーコードを解読できるか」ではありません。もっと身近な日常のトラブルで「裏側の構造を推測する思考の型」が身についているかどうかです。
例えば、日常でよくある「プリンターで印刷できない」というトラブルを考えてみます。
このとき、ただ「動かない!」とパニックになり、何度も印刷ボタンを押し直すだけの人もいれば、「もしかして用紙詰まり?」「Wi-Fiが切れている?」「それともプリンターのドライバが入っていないのでは?」と裏側の仕組みを推測して仮説を立てられる人もいます。
一見、パソコンやプリンターのエラーと「闇バイトに騙されること」は無関係に思えますが、根底にある「思考の型」はまったく同じです。
仕組みを疑わず、裏側を調べない人間は、悪意ある人物が提示する「表面的な気持ちの良い言葉」をそのまま信じてしまいます。
・裏のドライバやメモリ、OSなどの仕組みを想像しない
⇒「高収入」「ホワイトな案件」という言葉の裏の仕組み(原資がどこから出ているか)を想像しない
・「エラーが出たから動かない」と表面だけ見る
⇒「みんなやってるから大丈夫」「捕まらないと言われた」と言葉の表面だけを見る
・トラブル時、ただ指示されたボタンを押し直す
⇒ 違和感を覚えても、相手の指示通りに動き続ける(自分で検索して調べない)
日常の小さなエラーや不具合と悪戦苦闘してきた人は、怪しいバイトの募集を見た時にも、「もしかしてこれは、自分をトカゲの尻尾切りにする犯罪の受け子なのでは?」という「裏の構造」を推測する危機察知能力が働きます。逆に、すべてが隠された箱庭のような環境で「言われた通りに画面をタップするだけ」で生きてきた人は、その防衛回路が育ちにくくなってしまいます。
闇バイトは一度足を踏み入れると、身分証を押さえられ、脅されて抜け出せなくなります。
この構造も、ITのトラブルと非常によく似ています。
仕組みがわからないまま、怪しいソフトのポップアップで「はい」「同意する」を深く考えずにクリックし続けた結果、パソコンがランサムウェアに感染したり、サイバー攻撃の踏み台にされて加害者に仕立て上げられたりする。そして気づいた時には手遅れになっているのです。
これらはすべて、「自分が今、どんな規約に同意し、どんなリスクを踏もうとしているのか」という裏側を想像する力の欠如から生まれています。
ITリテラシーとは、実は「不親切さ」から育つものではないでしょうか。
現代のITは「ユーザーにストレスを与えない」を追求しすぎた結果、人間を退化させる「過保護な檻」になってしまっているように感じます。
本当に必要なリテラシー教育とは、スマホの綺麗な画面の上でアプリの動かし方を教えることではありません。「物事の裏側には必ず構造がある」ということを、あえて不親切なエラーや失敗を経験させることで気づかせ、学ばせること。そして「自分で調べるための手がかりを隠さないこと」なのだと私は思います。
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